市長コラム「雑記帳」

伊藤市長のコラム「雑記帳」は、市報こまがねに毎月掲載しています。

令和6年6月号

小さく色鮮やかに咲くムスカリ

小さく色鮮やかに咲くムスカリ

今年も本屋大賞が発表された。書店員が最も売りたい本を投票で決める文学賞。2004年に創設され、小売り現場が主役となるユニークさが注目を集め、受賞式がニュースになるまでに定着した。

今回の大賞は「成瀬は天下を取りにいく」。主人公の女の子が強烈だ。近くの百貨店が閉店すると知り、夏休み中、カウントダウン看板の横に立ったり、漫才に目覚めてM1グランプリへ出たりする。

魅かれるのは、周囲が戸惑う中、主人公は真っすぐに立ち続けていることだ。言い訳をせずブレずに進む姿は天下取りにふさわしい。

この大賞を20年続けた立役者は大学の同級生。あの主人公の生き方は、在学中から本づくりに取り組んできた彼と重なる。「素晴らしい本に出会えた」。メッセージを送ると「おお、ありがとう」と、うれしい返信があった。

令和6年5月号

凛と咲くスイセン

凛と咲くスイセン

「意外に遠いね」。昨年の冬、駒ヶ根市を訪れた東京・新橋の居酒屋の主人は笑った。思い立って奥さんと車で出発。「諏訪の向こうかな」程度の土地勘で、カーナビなしの古いセダンを走らせた。

記者時代、店構えが気に入り通った。カウンターに座り並んだ総菜を頼む。外れのない味。常連ばかりの店内は遠慮ない会話で満ちる。ゆったりと過ぎる時間が仕事を忘れリセットする機会をくれた。

「市長をしているまちを見たくて」と主人は話す。「すごくきれいだ」と、中央アルプスを見上げ、奥さんとうなずく。土産のつくだ煮を私に押し付けると「帰るね」と腰を上げた。

「あと1年半かな」。別れ際につぶやいた。70代の2人に子どもはない。体力と相談して閉店を決めたという。「来られて良かった」。握った手のぬくもりは長く残った。

令和6年4月号

冬化粧をした駒ヶ根高原

冬化粧をした駒ヶ根高原

春になると思い出す歌がいくつかある。共通項はCMソング。1970~80年代に盛んだった、新入学や新入社向け商品のキャンペーンで流れていた。

腕時計や学生服、学習机などがひしめく中、注目の的は化粧品だった。モデルに起用されるとスターへの道が開かれ、コラボした曲も確実にヒットした。

当時は大学や企業での新生活が化粧を始めるきっかけとされた。駆け出し記者時代、高校卒業生を対象にした、お化粧教室を取材した記憶もある。業界にとって春は需要が膨らむ重要な季節だった。

しかし、性別と化粧を関連付けた時代は遠い。化粧品を手に取る時期もそれぞれとなれば、一斉キャンペーンの意味は薄れる。社会の変化とともに季節の風物詩も移ろっていく。

令和6年3月号

多様な色が華やかさを高め合う

多様な色が華やかさを高め合う

「地の人」という言葉がある。そのまちで生まれ育った人を指す。同じ背景を共有することが安心感を生む。ただ、どの程度の歳月を過ごせば、ふさわしいのかは実は曖昧だ。

一方でボーダーレス社会は、そうした線引きの意味そのものを失わせる。ラグビー日本代表は、さまざまな経歴の選手が集まりぶつかり合うことで、力を発揮し感動を呼んだ。

東京が「三代続いたら江戸っ子」の感覚のままだったら、発展はなかっただろう。担い手の多くは地方の俊才であり、競い合って日本全体を引っ張る場になった。

「均質な粒の地層は弱い」。国交省の専門家は指摘する。つながる力が弱く液状化を招くという。多彩な粒がかみ合えば揺れにも負けない。違いを認め合うこと。勇気はいるが楽しみも増すはずだ。

令和6年2月号

春をじっと待つ木々

春をじっと待つ木々

冷え込んだ朝、庭に立つと独特の香りが鼻を突く。同じ場所なのに他の季節とは明らかに違う。乾燥し澄んだ空気が、冬ならではの思い出を紡ぎ出す。

五感を通した記憶は時に圧倒的な力を持つ。とりわけ音や香りは、当時の感情まで一気に呼び戻すことがある。普段は意識しなくとも、深い所に根をおろしているためかもしれない。

3年余り続いたコロナ禍。「4年生なのに、初めましてなんです」。駒ヶ根市で合宿した大学生は話した。ウェブ授業ばかりで同級生に会う機会がなかったという。同じ場所で過ごすことすらできない日々が昨日まであった。

さまざまな行事が始まり、日常が戻りつつある。しかし、ぽっかりと空いた穴はあちこちに残る。埋めるのか、飛び越えるのか。100年に1度の出来事はなお課題を残している。

令和6年1月号

正月飾りの縁起物ナンテン

正月飾りの縁起物 ナンテン

元日、朝一番の行事は「歯固め」だ。その年の吉方を向き、神棚にあげておいた落花生やコメ、栗を口へ。これで1年間、元気で食べられると、高遠の祖父母から教えられた。

一般的な行事なのか分からない。ただ、終えると気持ちは整った。効果はともかく、長く続く習慣には理由がある。目的と行動、その影響。そうしたサイクルに意味があるから残る。

年末年始は1年の大きな節目。それぞれの地域や家庭で欠かせない行事は多い。世代を超えて受け継がれるのか、消えてしまうのか。その分かれ道は、寄せる思いの強さだろう。

父や母、地域の人々。目に見える存在だけでなく、包み込む空気や培ってきた歴史。さまざまな巡り合わせの中で人は生きている。年の終わりと初め。あらためて感じる時だ。

令和5年12月号

秋色に染まりゆくイチョウ

秋色に染まりゆくイチョウ

「市民音楽祭に行きますか」。街を歩いていると、男の子が声をかけてきた。隣のお母さんが「市長さんに聞きたいというんです」と付け加える。メンバーである、金管バンドの演奏を聴いてほしいという。「もちろん伺います」と答えると、はにかんだ笑顔が浮かんだ。

保育園から中学までピアノを習っていたことは本欄で書いた。練習不足のため上達せず、高校以降は離れてしまった。しかし、子どもが生まれ、ともに始めると楽しさに気付いた。

自身の指から生まれるハーモニーは別次元の空間を紡ぐ。そこに多くの人を招き、酔わせることができる腕があればプロになれる。しかし、趣味でも自身には特別な場だ。

「楽器って楽しいよね」その子に話した。彼が還暦を過ぎた頃も演奏を続けていたら。そんな未来を想像すると、楽しくなった。

令和5年11月号

燃えるように色付くサルビア

燃えるように色付くサルビア

赤穂中の頃、クラスマッチのリレー代表に1回だけ選ばれたことがあった。運動は得意でなく足にも自信はない。しかし、体育で100メートル走を測ると、男子で4番目のタイムが出てしまった。

縁のなかった舞台に立つ羽目になり困惑した。好成績の原因を懸命に考えたが、オレンジ色のシューズに替えたことしか思いつかない。初めてバトンを渡す練習をしながら、不安ばかりが膨らんだ。

本番直前、唯一の支えだったシューズをなくしてしまった。もはや転ばずにつなぐことだけを祈った。1人に抜かれ、最初で最後のリレーは終わった。

10月、赤穂中の運動会に招かれた。生徒の皆さんは肩を組み大声を上げ、リラックスムード。見ている方も笑顔になる。あの日、こんな気分だったら、結果は違っていたのか。まあ、実力不足までは補えなかっただろうと思い直した。

令和5年10月号

夏空に映えるサルスベリ

夏空に映えるサルスベリ

8月、父の3回忌を行った。身内が集まり、お寺で読経と焼香、墓参りをして終わった。コロナ禍を経て暮らしは大きく変わり、冠婚葬祭も見直されている。

とりわけ葬儀は簡略化が進んだ。感染防止から精進落としは自粛され、身内のみの式が主流に。参列者は焼香のみというケースが増え、上伊那独特のそうめんを食べる機会も減った。

大学生の頃、祖父が亡くなった。感情が揺さぶられたのは、かまどで精進落としの天ぷらを揚げている時だった。降る雪が祖父から渡されたバトンのように思えたのだ。葬儀では流れなかった涙があふれた。

セレモニーは時とともに形を変える。ただ、人を思う気持ちは揺らがない。さまざまなやり方で、それぞれに伝えていくのだろう。

令和5年9月号

夏風に揺れるマリーゴールド

夏風に揺れるマリーゴールド

喉を裏からつつかれたような読後感。そんな世界へ、小田雅久仁氏の短編集「禍」は誘う。奇想天外な視点を基に日常の光景が次第に異形の沼へ変わる。夏の暑さを忘れて読み進んだ。

作家の個性は文体に現れる。会釈なしに踏み込む小田氏の書きぶりは読む人の肩をつかんで揺さぶり、特異な筋立てへの戸惑いもねじ伏せてしまう。

大学生の頃は村上春樹氏に憧れた。華麗な比喩と乾いた文章。初めて見る世界だった。高村薫氏にも魅せられた。1ミリずつ描写していくかのような緻密さは説得力を強め、緊迫感を生んだ。

記者の文章のお手本は夏目漱石だった。接続詞や形容詞のない簡潔な短文は理想形だ。

文は筆者の存在をかけて紡ぎ出されるからこそ力を持つ。AIがつくる訳知り文とは違うと思いたい。

令和5年8月号

初夏の吉瀬ダム

初夏の吉瀬ダム

高遠で暮らしていた祖父は7人きょうだいで、長男だった。2番目の弟は第2次大戦が始まる以前に、フィリピンへ渡り、現在でいうスーパーマーケットを経営していたという。

白黒写真に残る麻のスーツ姿は、なかなかおしゃれだ。きょうだいの子どもには、小学校入学祝いに革製カバンを贈った。当時は布製ばかりだったので、とてもうれしかったと母から聞いた。

大戦時、大叔父は現地で召集され、戦死した。祖父や母は既に亡く、当時を知る縁者も少なくなった。何を目指して海を渡り、どんな暮らしをしていたのか。今では知る手立てに乏しい。

時は想像を超える速さで過ぎていく。「話しておけば」「聞いておけば」との思いは置かれたまま。終戦記念日を前に、あらためて伝えることの大切さを感じる。

令和5年7月号

麦秋を迎えたほ場

麦秋を迎えたほ場

再放送中の朝ドラ「あまちゃん」にはまっている。10年を経ても色あせない魅力の一つは群像劇の見事さだ。それぞれにスピンオフの物語が描けるほど、登場人物の造形は深い。

最大の魅力は新たな生き方の提示だ。岩手へ移住した東京出身の主人公は再び上京、アイドルへ挑む。しかし、軌道に乗らず戻って来る。これまでなら「失意の帰郷」だろう。

しかし、物語は岩手での再出発を「成功」と描く。地元を出られなかった親友と再び組み、ローカルでの興行に多くの人を集めてみせる。中央と地方の対比を吹き飛ばすのだ。

「ここが一番だと確認するために行く」岩手を出る祖父や先輩は誇らしげに言う。小津安二郎作品の笠智衆とは違う思いがにじむ。自分や住むまちを愛すること。それが全ての出発点なのだろう。

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更新日:2024年05月20日