市長コラム「雑記帳」
伊藤市長のコラム「雑記帳」は、市報こまがねに毎月掲載しています。
令和7年2月号
結氷した大沼湖
「今日できることは明日へ延ばして」。高校生の頃、こんなあいさつで始まるラジオの深夜放送があった。人気作家の番組だったが、明日のテストに備える身としては、悠長な話だとしか思えなかった。
記者になると締め切りに追われた。朝刊は午前2時、夕刊は午後2時。1分でも過ぎれば追加や訂正はできず、結果が出てしまう。他社との競争に勝つため「迷ったら書け」との格言があるほど、先送りは「悪」だった。
まちづくりを取材するうち、時間軸の多様さに気づくようになった。企業経営と違い明確な評価基準が少なく、成果が出るのは数年後かもしれない。しかし、携わる人たちの熱気にしばしば圧倒された。
時の感覚はそれぞれだ。人生の単位で考えれば、締め切りはないともいえる。明日でもいいか。ゆったり構えると周りの光景も変わってくる。
令和7年1月号
真っ赤に染まるドウダンツツジ
令和6年12月号
黄金色に色づくイチョウ
長く生きていると訃報に接する機会が増える。会ったことはなくても、作品などで感動をいただいた方が亡くなると、喪失感に襲われる。同時代を生きてきたとの思いのためだろう。
優れた俳優や歌手であれば、その源泉は伝える力だろう。ロバート・デ・ニーロが映画「タクシードライバ―」で鏡の前で演じた場面のように。言葉では説明しにくい、全身から発信するメッセージと言えるかもしれない。
私にとって松田優作や萩原健一はそんなアイコンであり、その作品は自分の中の何かを形つくっていた。新作を見ることができなくなってしまったことはショックだった。
時代や人によって、思い入れる対象はそれぞれだ。しかし、共感することがもたらす幸福感があるからこそ、これからも続くのだろう。「推し活」と言葉が変わったとしても。
令和6年11月号
秋風になびくススキ
令和6年10月号
頂を目指す山道
8月、高烏谷山に登った。木立のおかげで日差しは遮られ、時折、吹く風が心地良い。さあと勢いづいて、山道に踏み入れた。しかし、次第に息が上がり始め汗も一気に噴き出す。
「なめてました」。降りてきた男性が話し「こんなにきついとは」と笑う。ここから頂上までを尋ねると「あと1時間」という。聞かなければ良かったとの後悔が疲労を濃くする。
まち歩きは好きだ。クルマや電車ではなく自分の足で動くと、入ってくる情報が違う。においや温度・湿度、風を含めて土地を丸ごと感じることができる。スマホの案内があれば、どこまでも行ける気がする。
しかし、垂直移動はきつい。歩くとは足を順番に動かす作業だと、しみじみ思う。ようやく着いた山頂から伊那谷の眺望が開けた。この上ないご褒美ではある。ただ、下りが待っている。さて。
令和6年9月号
力強く咲くマリーゴールド
令和6年8月号
夏を彩るアジサイ
この季節になると、亡くなった祖母や母は、畑でもいできたキュウリやキャベツと、塩イカを和えた料理を作った。旬を迎えた夏野菜とよく合う、伊那谷ならではの味だ。鰹節やゴマを加えるなど、それぞれの家によって流儀があるのではと思う。
東京で働いていた頃、帰省すると、塩イカをかなりの頻度で買っていた。保存食なので持ち運びに問題はない。母たちがしたように作ってみたが、野菜が違うのだろう。なかなか、あの味にはならなかった。しかし、刺身にできる新鮮なイカとは違うジャンルの食べ物として楽しんでいた。
新宿に伊那谷の料理を出す居酒屋があった。メニューには、馬刺しなどと並んで塩イカとキュウリの和え物が。さあと頼んでみたが、何か物足りない。家庭料理につながる思い出。これだけは店で出せないのだろう。
令和6年7月号
令和6年6月号
小さく色鮮やかに咲くムスカリ
今年も本屋大賞が発表された。書店員が最も売りたい本を投票で決める文学賞。2004年に創設され、小売り現場が主役となるユニークさが注目を集め、受賞式がニュースになるまでに定着した。
今回の大賞は「成瀬は天下を取りにいく」。主人公の女の子が強烈だ。近くの百貨店が閉店すると知り、夏休み中、カウントダウン看板の横に立ったり、漫才に目覚めてM1グランプリへ出たりする。
魅かれるのは、周囲が戸惑う中、主人公は真っすぐに立ち続けていることだ。言い訳をせずブレずに進む姿は天下取りにふさわしい。
この大賞を20年続けた立役者は大学の同級生。あの主人公の生き方は、在学中から本づくりに取り組んできた彼と重なる。「素晴らしい本に出会えた」。メッセージを送ると「おお、ありがとう」と、うれしい返信があった。
令和6年5月号
凛と咲くスイセン
「意外に遠いね」。昨年の冬、駒ヶ根市を訪れた東京・新橋の居酒屋の主人は笑った。思い立って奥さんと車で出発。「諏訪の向こうかな」程度の土地勘で、カーナビなしの古いセダンを走らせた。
記者時代、店構えが気に入り通った。カウンターに座り並んだ総菜を頼む。外れのない味。常連ばかりの店内は遠慮ない会話で満ちる。ゆったりと過ぎる時間が仕事を忘れリセットする機会をくれた。
「市長をしているまちを見たくて」と主人は話す。「すごくきれいだ」と、中央アルプスを見上げ、奥さんとうなずく。土産のつくだ煮を私に押し付けると「帰るね」と腰を上げた。
「あと1年半かな」。別れ際につぶやいた。70代の2人に子どもはない。体力と相談して閉店を決めたという。「来られて良かった」。握った手のぬくもりは長く残った。
令和6年4月号
冬化粧をした駒ヶ根高原
春になると思い出す歌がいくつかある。共通項はCMソング。1970~80年代に盛んだった、新入学や新入社向け商品のキャンペーンで流れていた。
腕時計や学生服、学習机などがひしめく中、注目の的は化粧品だった。モデルに起用されるとスターへの道が開かれ、コラボした曲も確実にヒットした。
当時は大学や企業での新生活が化粧を始めるきっかけとされた。駆け出し記者時代、高校卒業生を対象にした、お化粧教室を取材した記憶もある。業界にとって春は需要が膨らむ重要な季節だった。
しかし、性別と化粧を関連付けた時代は遠い。化粧品を手に取る時期もそれぞれとなれば、一斉キャンペーンの意味は薄れる。社会の変化とともに季節の風物詩も移ろっていく。
令和6年3月号
多様な色が華やかさを高め合う
「地の人」という言葉がある。そのまちで生まれ育った人を指す。同じ背景を共有することが安心感を生む。ただ、どの程度の歳月を過ごせば、ふさわしいのかは実は曖昧だ。
一方でボーダーレス社会は、そうした線引きの意味そのものを失わせる。ラグビー日本代表は、さまざまな経歴の選手が集まりぶつかり合うことで、力を発揮し感動を呼んだ。
東京が「三代続いたら江戸っ子」の感覚のままだったら、発展はなかっただろう。担い手の多くは地方の俊才であり、競い合って日本全体を引っ張る場になった。
「均質な粒の地層は弱い」。国交省の専門家は指摘する。つながる力が弱く液状化を招くという。多彩な粒がかみ合えば揺れにも負けない。違いを認め合うこと。勇気はいるが楽しみも増すはずだ。
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更新日:2025年01月20日