市長コラム「雑記帳」

伊藤市長のコラム「雑記帳」は、市報こまがねに毎月掲載しています。

令和3年11月号

秋風が運ぶキンモクセイの香り

秋風が運ぶキンモクセイの香り

通勤途中、小中学生のみなさんとすれ違う。今はクルマで通る道を半世紀前、私も歩いていた。一瞬、制服を着た自分が見える。あの頃、どんな未来を描いていただろうか。

複数の世界が存在するパラレルワールドという考え方がある。隣の世界では周囲の環境が同じだが、自分は違う暮らしをしている。迷い込んで別の自分に会い戸惑う。SF小説で人気の設定だ。

東中の生徒さんら若者と語る機会が続いた。自由な発想で飛び出す提言は刺激的だ。そのアイデアを実行したら、どんなまちになるのか。駒ヶ根市のいくつものパラレルワールドが生まれてくる。

ただ制約はある。一つの世界に二人の自分はいられない。まちづくりも一度にできる戦略は限られる。「そっちの世界は楽しい」。制服姿の自分がハンドルを握る自分に尋ねる。胸を張れる答えを探し続けないといけない。

令和3年10月号

秋を告げる色彩豊かな花々

秋を告げる色彩豊かな花々

コロナ禍で正常性バイアスという言葉を聞く機会が増えた。危機に直面しても自分は大丈夫と思う心理をいう。平静を保つ力になる反面、災害から逃げ遅れる恐れもあり危機対応の鍵と注目される。

経験のわなから逃れることは難しく信じたいものを信じがちだ。しかも、未知のウイルスは姿を変え新たな攻撃を仕掛ける。昨日の成功体験が今日は通用しなくなってしまう。

そこでアジャイルという言葉が登場する。素早い対応を指しIT産業で使われる。ソフトウエアは使いながら改善していく。最初から完璧を求めず、ユーザーの声を入れ改良していくやり方だ。変化の速い業界ならではの割り切りといえる。

先が読めないコロナ禍で行政も、こうした感覚が重要となってきた。固執せず原則は譲らない。両立させるには柔軟さが肝心だ。危機は戦略を磨くことの大事さを教えてくれる。

令和3年9月号

里を見守る宝剣岳

里を見守る宝剣岳

元上司が亡くなった。部長、編集局長、役員を務め長く見守っていただいた。何より、私が通信社で楽しく仕事をできる場を作ってくれた人だった。
決して否定から始めなかった。首をかしげながら最後まで話を聞いた。こちらの思いが理解できれば、実現に向け修正や追加する要素を一緒に探した。穏やかな態度を崩さずに。

私が提案した企画に軋轢が広がったことがあった。彼は関係者を集めて会議をし、責任者として自ら説明した。取り繕わず目指す先を示したことで、共感が広がり企画は軌道に乗ることができた。

市長選の最中に、手伝うよと現れたことがあった。編集トップを務めた経歴はおくびにも出さず、楽しそうに雑用をこなした。何も返せなかった至らなさを抱え、生きていくこと。あの笑顔に報いるすべは、ほかにない。夏の日差しを一層強く感じた。

令和3年8月号

草木が香る十二天の森

草木が香る十二天の森

コロナ禍で匂いと縁遠くなった。草刈り後に立ち上る青臭さや、夕立の降り始めに広がる土の香り。夏を感じるよすがだが、マスク越しではもどかしい。

匂いは記憶ともつながる。その時の光景だけでなく、感じていたことや考えていたことがよみがえる。この季節に思い出すのは、東京の埃っぽい空気だ。

大学時代、エアコンも風呂もないアパートに住んでいた。汗だらけで街へ出ると、湿気や排ガス、食べ物の匂いが混じりあい鼻に飛び込む。暑さに比例して濃さを増すそれは、都会の活気の塊だった。

5年生の夏、とりわけ濃く重く感じた。出口の見えない学生生活のせいだっただろう。その後、東京の夏は何度も過ごしたが、あの息苦しさは格別だった。

とすれば、匂いはマスクより環境に影響されるのだろう。人の営みが、一片の不織布に左右されるはずはないのだから。

令和3年7月号

アルプスを映し出す早苗田

アルプスを映し出す早苗田

6月は多くの企業が株主総会を開く。経営状況の点検とともに注目されるのは役員の顔ぶれだ。上場企業の社長になれば、新聞に顔写真や経歴付きで紹介される。会社員にとっては一つの到達点だ。

新聞社に入社した当時、私は記事を書くことしか考えていなかった。しかし、取材は記者だけではできない。現場への車両や通信手段の確保、食事や宿泊の手配、トラブル解決まで多くの人が支える。

成功は自分の努力の成果と思いたい。しかし、米ハーバード大のマイケル・サンデル教授は、多くの要素に左右された結果だとする。能力主義ばかりを優先すれば、社会の分断が進むと警告する。

目指す地点は人それぞれだ。多様な価値観を認め合うことが、その出発点。想像力の翼を広げることが必要だ。頑張ればできるよとの励ましが常に正しいとは限らない。

令和3年6月号

心地よい木漏れ日(馬見塚公園)

心地よい木漏れ日(馬見塚公園)

米企業の不正隠蔽(いんぺい)を告発した本を読んだ。名門大学を中退し起業した若い女性が、わずかな血液で全ての病気がわかる機器を開発したと売り込む。第2のスティーブ・ジョブズと騒がれるが、米紙の調査で詐欺まがいの実態が判明、破綻する。

驚くのは出資し役員になった投資家や経営者、元閣僚ら顔ぶれの豪華さだ。百戦錬磨の彼らが女性の弁舌に心を奪われてしまう。大物政治家は、技術者として忠告した孫との関係を断つほど信用した。

有利な投資先を求めうごめく巨額資金が背景にある。より大きな問題は基礎研究を軽視しがちな風潮だ。新型コロナウイルスのワクチンは、ハンガリー出身の女性科学者が長年続けた研究が基になった。結果が出ず降格処分を受けても諦めなかった頑張りが、世界に希望をもたらした。2人の女性の姿は、大事なものは何かを考えさせられる。

令和3年5月号

里を彩る花桃

里を彩る花桃

春は別れと出発の季節だ。進学や就職、転勤などで新たな場所で新たな生活を始めた方も多いと思う。寂しさと期待が交錯する気持ちは、自分の生き方を見つめ直す力になる。

だからこそ繰り返し、歌のテーマになってきた。頭に浮かぶメロディーは世代で異なるだろう。私なら「木綿のハンカチーフ」や斉藤由貴の「卒業」か。いずれも次の世界へ踏み出す恋人を描いている。

2つの歌の背景には地方から都会へ向かう若者の流れがある。明治以降、志を実現する場は東京だった。「一旗揚げる」の言葉通り、夢を抱えて古里を離れる決断は尊重された。

しかし、経済や技術の進展で都市と地方の格差は縮小、コロナ禍で都市リスクも露呈した。何より「志」が多様化している。地方こそ活躍の場と考える若者は確実に増えている。あいみょんの「ハルノヒ」に漂う自然さが今の時代なのだろう。

令和3年4月

春を告げる福寿草

春を告げる福寿草

10年前の3月、東日本大震災が発生した。巨大津波に原発事故が重なり、前例のない災害となった。通信社で編集委員だった私は、各部から原稿を集め調査・検証記事をまとめる仕事に追われた。激変する情勢を伝える難しさを思い知った。

未曽有の災害は価値観を変えた。人々の役に立とうと若者らが被災地に入った。ヒルズ族に象徴される、ビジネスで巨利を稼ぐ生き方とは対照的だ。その後、被災地以外の農山漁村でも同じ思いの人々に会った。危機は共感力を目覚めさせた。

コロナ禍で、こうした変化は、さらに広がる可能性がある。多くの人が都市の暮らしや働き方を見直す時間ができた。実際、2月の東京都の人口は約25年ぶりに減少した。ゴールはまだ見えないが、互いを思う大切さが増したことは確かだろう。その思いを、どう形にするか。これからの鍵だと考えている。

令和3年3月

結氷した馬見塚公園の池

結氷した馬見塚公園の池

キネマ旬報ベスト10など映像作品の表彰シーズンが始まった。コロナ禍のため例年とは様相が違うが、1年間の優秀作を確認する楽しい時期だ。

個人的に最も楽しめた作品は、韓国ドラマ「愛の不時着」だ。事故で北朝鮮に迷い込んだ韓国の財閥令嬢が帰るために、北の兵士達と奮闘する物語。サスペンスに加え恋愛、コメディーまで盛り込んで一気に見せる。

成功した要因は政治の要素を排除したことだ。兵士が協力する動機は令嬢への思いであり、敵も国家ではなく軍人の犯罪集団。南北関係を遠景にとどめることで、ストーリーは普遍性を帯び共感を生んだ。

絵空事というかもしれない。ただ、それがエンターテインメントの真骨頂だ。世界の一つの断面を示し、日々の営みでは得られない何かを心に残す。感染症の世界的流行の中で、存在感の大きさをあらためて感じている。

令和3年2月号

寒い冬でも元気なシクラメン

寒い冬でも元気な花たち

年を取るにつれ、時の経過を早く感じるという人は多い。根拠は定かではないが、1年の割合が小さくなるためとの説がある。1歳は1年が一生分、60歳では60分の1。だから、どんどん1年が短くなるのだというのだ。
コロナ禍となった昨年は、多くの人があっという間と感じたのではないか。さまざまな行事が中止となり、暮らしから節目が消えた。マスク越しでは季節感も感じない。平板な日々が増えてしまい、1年が短くなった。

もっと大きな要因は人との交流が薄れたことだ。オンラインでは要件を伝えられるが、雑談はしにくい。初対面ではなおさらだ。何気ないやり取りをヒントに、想定外の企画が生まれたことを記者時代、何回も経験した。

裏返せば、オンラインでの付き合いが未発達のためともいえる。ITは進歩する。コミュニケーションも昭和のままではいけない。

令和3年1月号

寒さに立ち向かうパンジー

寒さに立ち向かうパンジー

「立ち止まっていてはいけない」―。11月末に初めて開いた「市長と語り合う会」。ゲストの中央アルプスリゾート、竹村悠斗さんの言葉が耳に残った。

コロナ禍は観光業にとりわけ大きな影を落としている。集い、語り、食べる。心を砕くもてなしが感染防止の壁にぶつかり、多くのホテルや旅館は一時休業を余儀なくされた。

一方、キャンプは密を避けられると人気に。駒ヶ根高原家族旅行村の今季の売り上げは前季の1・5倍。竹村さんは清掃・消毒の徹底や、手ぶらでバーベキューまで楽しめる新プランが功を奏したという。まさにコロナに立ち向かった成果だ。

危機は課題を明らかにする。キャンプ人気は駒ヶ根の山岳リゾートの魅力と、生かし切れていない現状を示した。ロープウエイ頼みの観光を変える好機と竹村さんは話す。その通り。厳しい時期こそ、バネになるはずだ。
 

令和2年12月号

秋を彩る満開の菊

秋を彩る満開の菊

新型コロナウイルスの流行が収束した後の社会はどうなるのか。世界中の人々が手掛かりを得ようと懸命に取り組んでいる。市では10月、高校生や大学生、若手経営者ら18人に声を掛け、新時代の街づくりをテーマに会議を開いた。

「市街地の真ん中に畑を作ろう」「ゲームプレーヤーが集まる聖地に」―。次々とユニークなアイデアが飛び出した。ためらいのなさは若さの強みだ。意見の振れ幅が広いほど発想は刺激される。1時間半はあっという間に過ぎてしまった。

コロナ禍は集積から分散を促す。その意味で街づくりの新たな鍵は多様化だ。それぞれの思いを大事にし、支え合い活動できる。広場のような街こそ、目指す姿だろう。100年に一度の危機は、再生への大きなチャンスでもある。先の会議では、たっぷりとヒントをいただいた。楽しみは一層膨らんでいる。

令和2年11月号

木々が徐々に色付き始めた

木々が徐々に色付き始めた

地域経済で「漏れバケツ」という課題がある。工場があっても収益が本社に流れると地域への経済効果は乏しい。この状況を水漏れに例え、穴をふさいで地域内でお金を回すことが重要というのだ。

長野財務事務所長らを招き10月、経済分析を学ぶ市職員の勉強会を行った。生産や取引を地域の企業や産物で賄える割合を自給率とすると、高いほど自立しており漏れる穴も小さい。こうした実態を示すデータを産業連関表といい、国や県は作成しているが市町村では例が少ない。勉強会を踏まえ、市として取り組むことにした。

日本経済が右肩上がりなら、穴は全体の成長でカバーできる。しかし、低成長時代は違う。効果的な対策づくりに実態把握は不可欠。ただ、調査・分析に企業や市民の皆さんの協力が欠かせない。一緒に新時代の手がかりを探っていきたい。
 

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更新日:2021年10月20日